蝶屋 創業80年にあたり

一人でも多くの日本人に

日本伝統文化の華

きものの素晴らしさを伝えて参ります。

初代社長と奥様

昭和十四年、現会長でもあります私の父が生まれた日に蝶屋が誕生しました。
戦後間もなく物資も豊かではない頃、無我夢中のスタートだったと聞いています。
そんな中、六人兄弟の長男として産まれた父は、自然と家業を手伝うようになりました。
本来、勉強が大好きだった父ですが、家業のため大学進学をあきらめ、十代のころからこの呉服の仕事に没頭していきます。

そして母と結婚。 私の僅かな幼少の頃の記憶の中でも、父と母は朝から晩まで本当によく働いていました。
おんぶ紐で私を背負って田んぼの中、お客様に挨拶をして回ったとも聞いています。

初代社長と二代目社長

その頃からの変わらぬ信念が
「買い取り仕入れ」
「お客様に本物と安心感をお届けする」

商売人として、確かな目利きで責任をもって商品を仕入れる。そして、お客様に適正な価格でご提供する。
未来永劫、素晴らしい商品を正しくお客様にお届けするために必要なこと。
一見、当たり前のことのようですが、これができていなかったから、現在、呉服業界全体は斜陽産業といわれているのだと思います。
バブル期に浮かれ、本質を失い、着物の魅力を逆手にとり、あくどい商法にて販売する大手も出てきました。

三代目社長と社員

父と母の背中を見てきた私の心の中では、ずっと混沌としたものが拭いきれませんでした。
平成三年、社会経験を積んだ後、蝶屋に入社し母のもとで修業を積みながら、まず取り組んだのが今年で十七年目を迎えた「ミスジャポン事業」です。
この頃、成人式の振袖はレンタルが多くなり、式典自体のマナーの悪さが大きく報道されました。 私は、伝えてこなかった大人たちに責任があると感じました。
着物の素晴らしさや、生産者の思い、「和」を尊ぶ日本人の心を学んでいたらこんなことになっていたでしょうか。

私は、商売とは少し離れた目線から、若い世代に日本の民族衣装である「着物」を通じてできるだけのことを伝えてきました。

現在、ミスジャポン卒業生自らが、日本文化を背負った心意気を持って活動の幅を広げていってくれており、本当にうれしく感じています。

最後になりましたが、全ては大切なお客様と社員とともに守り育ててきた、この蝶屋あってのことでございます。

まだまだ未熟な私どもではありますが、誠心誠意、愛する着物と日本のため七十八期も勤めてまいる所存です。
今後ともご指導、ご鞭撻賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

皆様の今後のご健勝を心よりお祈念し、ご挨拶とさせて頂きます。

平成三十年十月吉日

蝶屋株式会社 代表取締役社長
髙倉慶応