博多織

「博多織」は、 おもに福岡県福岡市で特産とされる絹織物で 「西陣織」「桐生織」にならび日本三大織物の一つです。1976年、国の伝統的工芸品に指定されています。

「博多織」の歴史

博多織の起源は、鎌倉時代にさかのぼります。

当時、最先端技術国であった宋へ「聖一国師(弁円 )」とともに渡った博多商人「満田彌三右衛門」(1202-1282)が、 1241年の帰国後、現地で習得した唐織の技法にオリジナルのデザインを加えて制作したものが博多織の起源と言われています。弥三右衛門はこれを「広東織」と名付け、家伝としました。

「覇家台織」の誕生

15世紀後半、 「満田彦三郎」は、先祖「満田彌三右衛門」 の夢を受け継ぎ、明へと渡りました。帰国後、 「満田彦三郎」は「竹若藤兵衛・伊右衛門親子」と共に織物研究に没頭し、家伝の技法と新技術の改良を重ねます。そして、琥珀織のように厚地で、浮線紋や柳条の模様が特徴の織物を開発しました。

これを「覇家台織(はかたおり)」と名付けました。現在の伝統的な博多織の原点です。

「博多献上」の誕生

そして、江戸時代1600年ごろには現在に伝わる博多織が確立されます。

黒田藩主「黒田長政」が幕府への献上品として博多織を徳川将軍家へ献上するようになったことから特に最上の物を「博多献上」「献上博多」などとも呼ばれるようになりました。

献上品として選ばれた博多織の文様が、博多織の原点である「独鈷華皿文様」だったのです。 これ以降「独鈷華皿文様」=「献上柄」と呼ばれるようになりました。

「博多織」の特徴

博多織は先染めの糸を使い、細い経(たて)糸を多く用い、太い緯(よこ)糸を筬で強く打ち込み、主に経糸を浮かせて柄を織り出すのが特徴。 一本の幅1mm未満の極細糸を10,000本以上も使います。

厚みや張りがあり、よく締まるということから、重い刀を腰に差す武士の帯として重用され、今でもその特性が活かされ博多織の「帯」は、全国でも屈指の評価と根強い人気があります。

現在ではこの伝統的な博多織の特徴を活かしつつ、革新的なデザインや製品が制作されています。

久留米絣

「久留米絣」は、「伊予絣」「備後絣」とともに日本三大絣の一つともされる福岡県久留米市及び筑後地方一帯で製造されている絣です。久留米絣の伝統的技法は、国の重要無形文化財に指定 (1957年)され、経済産業大臣指定伝統工芸品にも指定されています。 (1976年)

「久留米絣」の誕生

江戸時代の後期に、「井上 伝」という当時12歳の少女が創始したとされてます。

若干12歳の井上伝は色褪せた古着の白い斑点模様に着目し、「紺と白のまだらの糸で織れば、新しい模様の織物ができるかもしれない。。」と布を解いて模様の秘密を探りました。 その結果、糸を括って藍で染め、織り上げて模様を生み出すことを考案したといわれています。

江戸時代後期から、明治時代、大正時代、昭和時代初期にかけて、庶民の普段着は木綿の着物、絣の着物でした。

「久留米絣」は、生活必需品として最盛期は、年間200〜300万反の生産量を誇っていました。

また、日本を代表する小説家「太宰 治」は、久留米絣の着物を好んでいたといわれています。

現代に生まれ変わる「久留米絣」

戦後、洋服が普段着となるにつれて、普段着としての役割を果たしていた絣も着物の需要は急速に減っていきました。高度成長期がその流れに拍車をかけ、製造織元の件数とともに絣の生産は、激減していきました。

そんな逆境のなか、久留米絣は生き残りをかけ市場のニーズに合った製品を生み出します。

久留米絣は、綿織物で、素朴な藍染めのものが伝統的でしたが、化学染料なども用いて現代的な色合いの商品開発や、カバン、スニーカー、ネクタイ、スーツ、洋服など新製品を次々と生み出しています。

久留米絣は、綿素材ならではの良さがあります。着れば着るほど馴染む着心地、夏は涼しく、冬は暖かいという機能性の高さが再評価されているのです。

重要無形文化財としての「久留米絣」

新たな挑戦を続ける久留米絣ですが、重要文化財として伝統的な製法での「久留米絣」は今も脈々と受け継がれています。

重要無形文化財として指定される「久留米絣」の条件は次の3点です。

1.手くびり(手括り)による絣糸を使うこと
2.純正天然藍で糸を染めること
3.投杼(なげひ)と呼ばれる緯糸(よこいと)を巻いた道具を用いて手機(てばた)で織ること

久留米絣の制作は、意匠(デザイン)の考案から絣糸の染め分け、織って仕上げるまで約30もの工程を必要とします。

経緯糸ともに絣糸を用いる久留米絣は、経絣のみまた、緯絣のみの絣よりも、多くの手間と緻密さが要求されるのです。