十日町友禅

十日町友禅

友禅は「京友禅」「加賀友禅」「東京友禅」の三代友禅だけではありません。

十日町友禅の歴史はまだ浅いものですが、時代に合わせた生産方法で数多くの商品が市場に出回っております。

十日町産地は、伝統的工芸品「越後上布」「小千谷縮」十日町絣」「十日町明石ちぢみ」に代表される先染織物が中心でしたが、昭和30年頃から、十日町織物工業協同組合の青年部を中心とした新商品開発の試みとして、 京都から友禅染の技術を導入し始め、「工場制一貫生産」という他に類例のないシステムを確立しました。

そのことにより、良品をコストを下げて生産できる仕組みを可能にしました。

十日町友禅は、その自由な発想や型にとらわれない現代らしさが特徴です。

取扱いブランド

青柳、滝泰

越後上布

越後上布

現在では新潟県十日町市、南魚沼市、小千谷市を中心に生産される麻織物のうちで、特に上等なもの。

指で紡いだカラムシの糸で織り、「雪ざらし」が有名。春先に一面の銀世界の中で行われる「雪晒し」は地域の風物詩としても有名で、雪に晒した上布は、オゾンの働きによって不純物を取り除かれ、より美しくなります。

緯糸に強撚(ねん)糸を用いた縮織のものは「小千谷縮」「越後縮」と言う。

1955年、「越後上布」「小千谷縮」が共に重要無形文化財に指定されています。

現在、重要無形文化財指定の越後上布の他に、経糸にラミー糸に高機を用いた本製越後上布と経緯共にラミー糸を用いた越後上布と三種類が流通しています。

※重要無形文化財の指定要件(小千谷縮・越後上布)

1.すべて苧麻を手うみした糸を使用すること

2.絣模様をつける場合は手くびりによること

3.いざり機で織ること

4.しぼとりをする場合は、湯もみ、足ぶみによること

5.さらしは雪ざらしによること

(※昭和50年9月4日 伝統的工芸品指定)

この地方は古くから麻織物の生産地として有名で、縄文中期の土器に織物の圧痕があることが報じられています。

また、平安時代、十世紀初期の編纂された「延喜式」の中にも越後布の記述があり調布として貢納された記載があります。

そして『吾妻鏡』建久3年(1192)には、源頼朝が越布1000反を朝廷に献上し、上杉謙信も永禄3年(1560)に麻織物を献上したことがわかっている。

そして領主の奨励もあって麻生産は増大し、天明(てんめい)年間(1781~1789)には、年間20万反を超えるほどとなりましたが、しかし以後衰退傾向をたどり、現在では麻着尺地の生産はごくわずかで、その技術は絹織物に転換しています。

小千谷縮

新潟県小千谷市周辺を生産地とする苧麻=からむし を使った麻織物。緯糸に強い撚(よ)りをかけた布を湯もみする事で「シボ」といわれるしわを生み出した織物。

越後上布に改良を加えたのが小千谷縮です。

17世紀、播磨国明石出身の浪人である堀次郎将俊(明石次郎)が、絹織物である「明石縮」技法を応用し、夏の衣料向けの越後麻布として改良に成功し、その改良は魚沼地方全体に広がっていきました。

当時は、越後縮と呼ばれていたが、1960年に指定名称が「小千谷縮」と変更されました。

本塩沢・塩沢紬

「越後上布」の技術を、今から約350年前の江戸時代の寛文(1661年~72年)年間の頃、絹織物に応用して創られたものが「本塩沢(塩沢お召)」です。

江戸時代の明和年間(西暦1764年~71年)の頃には、真綿糸を使用した「塩沢紬」が創られました。
更に、明治時代、これらの絹織物を夏物として改良して生まれたものが「夏塩沢」です。
まさに塩沢の織物の親に当たるものが「越後上布」、その子が「本塩沢」「塩沢紬」で、その孫に当たるものが「夏塩沢」です。