よねざわ新田展【3日間限定 10月26日(土)-28(日)】 シルクロードを経て 山形で花ひらく・・・
よねざわ新田展【3日間限定開催】
山形県米沢から5代目 新田源太郎氏が初来店!!生でお話を聞けるチャンス!!
今回の展示会は、前回開催した米沢織展の第二弾です。
今に伝わる「米沢織」
1767年(明和4年)上杉藩主「上杉鷹山」によって貧窮にあえいでいた米沢藩の財政の建て直しの政策が行われました。武士も農民と一緒に、田を開き、畑を耕し、布を織りました。・・・
これが「米沢織」の始まりです。200年以上経った今でも、ここ米沢に地場産業として鷹山公の精神とともに受け継がれております。
よねざわ新田家の歴史
江戸時代 武士が機に向かっていた米沢藩で新田家は、武士の家でした 。
米沢新田家初代が、上杉景勝公と共に越後から転封で米沢に移り住み、「十六代目新田留次郎」が機屋初代として明治17年(1884年)に「袴の新田」として創業。品評会などで数々の賞を授けられ、米沢袴地といえば新田とまで言われるようになりました。
その後 機屋「3代目新田秀次」と妻の富子が、途絶えていた「紅花」の復興に力を注ぐようになります。 日中は家業の機屋 夜は紅の染色という毎日。5年後にやっと江戸末期の花嫁衣裳の紅色を染め上げることに成功しました。「4代目英行」は、ここから生まれる「紅花染」と「植物染料」の重ね染めによって 自然の美しい不辺の色を表現し続けています。新田家のたゆまざる研究と努力から生まれた織物は、たとえようのない重ね染めによる百色の色相をただよわせています。
現在「五代目源太郎」もその精神を受け継ぎ、ものづくりに励んでいます。
紅花染「シルクロードを経て 山形で花ひらく・・・」
「紅花」ははるか昔、シルクロードの長い長い道を年月をかけて日本へと伝えられてきました。山形に入ってきたのは室町時代です。
あざみに似た可憐な花で一本の茎にいくつもの花をつけ末の花、最後の花まで摘むことができることから別名「末摘む花」ともいわれます。
清らかな水、澄んだ空気、輝く陽、この中で育った紅花は真っ白な絹を鮮やかに染め抜く染料へと変わります。
寒さの最も厳しい真冬に染める色が美しいといわれています。
江戸中期から幕末までが最盛で「紅一匁金一匁」といわれる程大変高価なものでした。
かの有名な松尾芭蕉も俳句に残しています。
「行く末は 誰が肌ふれん 紅の花」
五代目 新田源太郎 プロフィール
新田展商品ラインナップ
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